十全コミュニケーション
「無責任なひとは嫌いなの」
いただきます。
そう言って、少女は美しい所作でもって食事を始める。じゃあ俺も、と馬鹿のふりをして、大して好きでもない煮魚を箸でほぐした。
少女は気付いているだろう、聡い子供だ、可愛げもなく。無責任だと俺を責める瞳には、それこそ怒りすらもなかった。こういう人間くらいのものだ、あいつをひとりの人間だと知って、そう扱ってやれるのは。それこそどこぞの馬鹿息子なんかは、あれを揺らぎすらしない何かであると思っている。守られていることになど、死ぬまでに気付くのかさえ怪しいものだ。
実家で犬を飼っている。それは本当だ。小さくて丸っこくて、昔は綺麗だったのに今ではなぜか傷んでしまった黒い毛をもつ、弱いいきもの。弱いのだ、ひとりで平気だなんて態度で利口なふりをしていたって、根っこでは誰より強く孤独を恐れている。だからあれは絶対に吠えたりしない。うるさいと捨てられた記憶が轡となり、枷となって、主人を追いかけられもしなかった。
だから俺が迎えに行ったのだ。雨のなかでうずくまるばかりのあいつを。拾ったわけじゃない、とっくに壊れている轡と枷を、あいつが自力で振り払って、自分の意思で俺のもとまで歩いてこられるようになるまでは。
「その焼き飯、うまいです?」
「パエリアだよ、椎葉くん」
「そうでした、」
少女は苦く笑うばかり。
踏み込んできたのは俺への感情ゆえではないけれど、どうであれ、線を越えようとしたことに違いはない。あいつのためであったのだろうに、
「すんません」
物覚えが悪いもので。
だから覚えるべき事柄を増やさないよう、テリトリーに侵入してきた他者はできるだけ追い払うのですが、あなたならきっと許してくれることでしょう。
笑いかければ少女は目を伏せ、小さなトマトをひとつ、口に含んだ。
ベッドに横になるのは果たしていつぶりか。考えたくもない。久しぶりに取った宿の部屋、その寝具に身を沈めると、ぐわんと瞼が重くなる。疲れていた、というのも本当だ。それゆえに少しばかり対応が雑だった、かもしれない。思い返すほどの気力も興味もない。
仕方がない、今は寝床の確保が最優先事項であり、当然宿代だってバカにならないわけで、けれど冒険者という職業は、戦わなければ金が稼げない。そんなことが可能ではない状態だからこそ寝床が必要なのであって、それでも俺だけ夜空のしたでは、あいつが大人しくベッドに収まる人間であるはずもない。二人分の宿代を稼ぐためとはいえ、今日も今日とて何度地面を可愛がったことか。まともどころか人より敏感になった気さえする痛覚は、生活をするにあたってあまりにも不便がすぎる。一度外されかけた右肩を回して溜め息をついた。
「飼い主の責任、ね」
冗談じゃない、犬なんか生涯一度も飼った覚えはない。仮に飼っていたとして、それはあいつが勝手に自分で首に鎖を巻いただけのことだ。俺が首輪をはめたんじゃない。
それでも無責任だと少女は言う。そんなことを言ったってどうにもしようがないだろう。燻んだ群青のそれを、真正面から射抜けるものか、こんな時に。
勝手に宿泊日数を延ばされた挙げ句その金まで払われたことに、あいつがそろそろ気がつく頃のはずだ。ありがたい怒声を届けるであろう通信機の電源を落とす。向こう三日は誰とも連絡をとれそうにない。
半分開かれたままだった窓が、鳴海の母が首を吊った日の梅の匂いを、部屋に誘い込む。精々熱にうなされながらよく眠ればいい、腹が立って寝られそうもない俺の分まで。
(よその子との会話引用)