捻くれもの
傷付けたかったわけじゃない。と思う。
自信がないわけでもない。けれども現にそいつは今、俺の目の前で泣いている。多分、それが全てだ。
「…ごめん、」
ああ。そうやってまたお前が謝って、
「そういう物分りのいいフリ、腹立つんだけど」
何度目だ、こんなこと。
あれから三日、鳴海は驚くほどいつも通りに過ごしている。そういうことができるだけの、頭の悪い奴であることは知っているが。
そもそもだ。何があったって、珍しくもあいつから、いわゆるデートなんてものに誘われたので、幾つかあった誘いを断りその日を空けてやったのだ。その過程で気付いた、その日は俺の誕生日だと。
だからまぁ、仕方ないのだ。街を歩いて知り合いに出くわせば、声くらいかけられる。そういうことを覚えていると同時に騒ぎたがる生き物となれば、当然比率は女が高い。あいつはそれが気に食わない、と思いかけた自分が気に食わないのだろう、やたらに大人しくて、それから無理に笑っていた。ぎこちなくて嫌味なくらい穏やかなあの顔、ひどく嫌いだった。
もちろんそんなの、俺は愉快でいられない。とどめにあいつが言ったのは、
「…帰ろうか」
今日の予定はこれでおしまい、そんな風を笑いながら装ったから、傷付けたかったわけじゃない、と思うけれど、苛立ちも限界に達したのでもういいかと思い、殴ってしまった。
そうしたら泣いた。
なんだ、他愛もない痴話喧嘩。
振り返れば事のちっぽけさにいっそ笑えてくるけれど、これが何百回も積み重なった今日と、傷付かなかったフリをする鳴海とを見ていると、なんだか全部が無意味だったように感じられてしまうのだ。取り返しなんてつかないように思えてしまうのだ。
手癖で火をつけた煙草を吸って、読みもしないのに手繰り寄せた雑誌を開いて、さっき意味もなくつけたテレビが煩わしくなって消して。ああ、俺はイライラしているんだな、と思う。
居心地が悪い。時計を見やって、玄関へ続く廊下に出ると壁に背を預けて腕を組んだ。
寂しいとか腹が立ったとか、どうしてそれだけのことを、たった一言さえ言えずに。果ては悟られないよう後ろ手に隠したりなんかして、そういう含ませるような態度が癪に障るとなぜ分からないのだろう。いや、だから別に。傷付けようとしたわけじゃない、んだけれども。
間違えた結果受けた報いなのだから悲しむのはお門違い、みたいな思考が透けて見えるあの顔が、そういう性根が、悲劇ぶる目が。
「ただいま、…」
俺の間違いをまざまざと自覚させるから腹が立つ。
じゃあもういっそ、傷付けようとすればいいのではないか?そうだ、俺は開き直ることにした。
こうして俺が四苦八苦しているあいだにも、こいつはめそめそと悲劇を内に溜めて、やがてあてつけのように体調を崩して寝込みやがる。その都度どれがとどめかと思考を巡らすなんて馬鹿らしいだろう、はじめっから全部で息の根を止めにかかればいい。
ドアを開いたすぐそこに立っていた俺に、鳴海は目を丸くする。戸惑いながらそれを閉めて、けれど靴も脱がずに突っ立ったまま、俺の言葉を待っている。ああ、泣かせてやりたいな、
「次の休みは」
「へ、…げつ、よう」
「空けとけよ」
「…何だよいきなり」
「誕生日、俺祝われ損なったままなんだけど」
やっぱり。
鳴海は一度伏せたひとみをまた真ん丸くして、それから肩を落として、困ったように眉を寄せて。
「…ごめん」
へな、と、ばかみたいに間抜けた顔で笑う。首をわずかに傾げて、うれしいですって大声で喚くよりも分かりやすいひとみで、俺を見ている。
腹が立って、微かに熱を持っているそいつの頬をつまんでやった。離せと怒る声がまだ嬉しそうに浮ついていたので、早く泣けと思って頭を引っぱたいたのに、靴を脱ぎながらプレゼントは何がいいのかと頓珍漢な言葉を吐いている。
ほらみろ。どうせ俺は、どうやったってうまくいかないのだ。