甘い男
「椎葉、今日誕生日だね」
珍しくも3人の休日が揃った今日、ぐうたら過ごしていた昼下がりに、神田にふとそんなことを言われた。
ああ、忘れていた。この歳にもなるとこんな世界では誕生日なんてないようなものだ。祝われたところでどんな顔をすればいいかも分からないし、明日死んでいるかもしれないのだから大して喜べもしない。自立した今、歳をとったところでなにができるようになるわけでもないのだし。
どこにいても神田の声が聞こえるらしい、まあ騒ぎたいだけであろう千ヶ崎が、皿洗いをほっぽって飛んできた。
「え!そうなんですか、知りませんでした」
「まあ一応」
「いくつになったんです?」
「19」
「…ん?」
「サザエさん時空だからさ」
今日はどこかに食べにいきましょう、なんて、自分が出かけたいだけの千ヶ崎が言いはじめて、面倒だと思いえーとかあーとか適当な返事をして流していたら、神田までいそいそと準備を始めてしまった。
神田は昔から家族の祝いごとが好きだった。誕生日を忘れたという"彼女"のために、年に一度、蓄えに余裕のある時期に、盛大すぎるほど料理を作っていた。実をいうとあまり美味くはないくせテーブルを隙間なく埋めたそれらを、ひどく美味そうに平らげていた彼女の笑顔を、覚えている。けれどそれも彼女が病に臥せってからというものぱたりとなくなったから、神田はきっと寂しい思いをしていたんだろう。
まあたまには子供らに付き合ってやるのも悪くはないか。そんな風に思っていると、狭い官舎にインターホンの音が響いた。はあい、と返事をして千ヶ崎が玄関へ向かう。
「なにが食べたい?」
「あー…肉」
「じゃあ焼肉に行こうか」
「そのへんのファミレスでいいだろ、金ねーし」
「せっかく誕生日なのに」
「せっかくもクソもねーわ、この歳になったら」
「椎葉さん、なんかケーキ届きましたけど…」
「は?」
まさか自分で頼んだんですか?
玄関から戻ってきた千ヶ崎が困惑した顔でそう言って、なわけねーだろと返しながらその手元を覗きこむ。だって今の今まで忘れていたというのに。
取っ手のついた真っ白い箱は天井にビニールの窓がついており、そこから見えるのは紛うことなきケーキだ。しかも結構でかい、6号はあるだろう。宅配ケーキというやつなのか、箱に貼られたシールに宛名と会社名は明記されているものの、差出人の欄は空白だった。
けれど、ああ、本当に、バカだな。平気でこんなことする奴はこの世にひとりしかいない。
「いおり、頼んだんですか?」
「ううん」
「まあいいだろ誰でも、ありがたく食わせてもらおうぜ」
「え?でも怖くないですか?」
「へーきへーき」
台所から包丁と、それから3つ取り出した小皿を机に並べ、ケーキを適当に切り分けてやる。シフォンケーキであるらしいそれはふわふわとして背が高く、白い生クリームで飾られ、粉砂糖のかかった大振りのイチゴがこれでもかと並べられていた。蝋燭もチョコプレートもないそれは、別にバースデーケーキというわけではないらしい。大方気恥ずかしくなってやめたんだろう。神田と千ヶ崎は困ったように顔を見合わせていたけれど、本当に食べ始めた俺を見ておずおずとフォークを取った。
食べ始めたら美味しい美味しいと絶賛しはじめた千ヶ崎が会社を調べたらしく、サイトを見たら空気が凍るほど高いケーキだと分かって、さすがに呆れた。ここに味の違いが分かる人間なんていないというのに。あいつの浪費癖はどうにかならないのだろうか。
甘いなぁ、と、思った。別に甘味が特別好きなわけではないけれど、たまに食べるとなぜだか美味く感じるのも嘘じゃない。ほんとうに、甘い。すぎるくらいに。バカな男だと笑う。
ケーキを食べ終えたあとも、新聞を適当に読みながらやっぱりぐうたら過ごし、夕方になってそろそろ家にいる頃かと立ち上がる。その気になっていた神田たちには悪いからと数千円をテーブルに置いて、夜は勝手に食べにいくように言い残して家を出た。向かう先なんて決まっている。
女子供は甘いものが好き、と信じている奴だから、神田も千ヶ崎も美味そうに食ってたぞと教えてやれば、多分満足するんだろう。知らばっくれるか、無視を決め込むか。恐らくはそのどちらかなんだろうが、いくら可愛くない奴だからといって、会わないわけにもいくまい。かわいそうに、いまごろひとりでコンビニのサラダをつつきながらカップ酒でも飲んでいるのだろうから。付き合ってやっても罰は当たらない。
あんな馬鹿みたいにでかいケーキを送りつけてきたのも、そこに自分は必要ないと判断したのも。俺があの子供らをどう思っているのかとか、俺が大事にしているものとか、俺の日常とか、それら全てを尊重した結果なんだろうから、つくづく頭が悪いくせ器用な男だと思う。あいつにとって自分を制御するということは、そんなにも容易なことなんだろうか。
俺にしてみればお前と過ごすくだらなくて意味のない時間も、と、そこまで考えて、思考は止まった。意味のないものに感情を付属させて一体なんになるというのか。これ以上考えてしまっては、どういう顔であいつをからかえばいいのか分からなくなる。
(…甘いなぁ、ほんと)
未だ残る甘さを口内で転がしながら、そいつのことを考えていた。
2018/9/4