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​忌み子だった男

 さて、今年もやってきた12月19日。
 三ヶ月前、あいつは俺の誕生日にケーキを贈りつけてきた。三人で食うにはバカみたいに大きくて、ただの一般人には高すぎたそれ。それに見合うものをと言われると薄給である俺はどうにも参ってしまうのだが、俺にしてはそこそこ考えた結果、物質に興味がないあいつに物はいらないだろうという結論に至った。無欲な男で助かるよ、ほんと。
 ところであいつは別に自分の誕生日を嬉しく思わない。過去にも数回祝ってやったことはあるが、まぁどれも見事につまらない反応ばかりしてくれたものだった。生い立ちから考えて不思議なことではないのだが、なんとも祝い甲斐のない人間なのである。けれども様子を見るかぎり、自分で自分を祝えないだけ、その存在をありがたく思えないだけで、「祝われること」自体は嬉しくないわけでもないらしく、だったら素直に喜んでおけと思うが、性格上難しいのだろう。今更生き方を変えろとは言わないが、そういうところに自分が一番苦しんでいるのだろうから、つくづく不器用な奴だと思ったりはする。

 あいつは俺と違って、自分の誕生日を把握している。その数字を見ればなんの日かくらいは思い出せる。そうして後ろめたく思うのだ、また一年生き延びたことを。
 

 スラムへ帰ってきてからもう何度も歩いた道を行く。その間、懐かしい記憶が自然と思い起こされていた。
 俺は自分の誕生日なんかはすぐに忘れてしまうのだが、鳴海の生まれた日だけは覚えていて、近くにいるなら必ず祝ってやった。物を贈ったことは少ないけれど、毎年隣にいてやった。そうしなければ、あいつはますます、自分のことを嫌いになるからだ。



 

 小学六年生、つまりあいつと最後に過ごした冬のこと。その日、あいつは学校に来なかった。
 毎年祝っていたものだから、俺はなんとなく居心地が悪くて、家に帰る前に赤間の家に寄ったのだが、チャイムを鳴らしても玄関が開かれることはなかった。千秋さんに連れられどこかへ出かけでもしたのだろうか。俺はそんなことを思って、一度鳴らしたきりでその家をあとにした。

 その夜、俺がふらふらとあたりを散歩していると、見慣れた黒髪が公園のブランコに腰かけて、踵を地につけたまま、きぃきぃと静かに揺れていた。それを少しだけ眺めていたけれど、そいつは一向に動こうとしないまま、寒がりなくせひどい薄着でじっと夜空を見つめていたものだから、思わず肩を竦めた。またなにごとかを考えこんでいて、そうしてそれは良くない方向に進んでいるばかりなのだろう。俺は小さく溜め息をこぼした。
 

「なーるみ」
 

 公園の入り口から声をかけて、ゆったりとそちらへ近付く。ゆるゆると振り返ったそいつは、開口一番、可愛くない顔で「誰かと思った」、なんて声を落とした。視線に気がついていたのなら振り返ればいいのに。
 その隣のブランコに腰かける、がちゃりと金属が擦れる音がする。鳴海は相変わらず空を見上げていた。

 

「なにしてんだ、こんな時間に」
「そりゃこっちのセリフだ」
「俺はまぁ、いつもの」

 

 するりと右腕の袖をまくる。俺はとっくに見慣れた小さな火傷の痕を認めると、鳴海は何でもないような顔で視線を上へ戻して、
 

「…そうか」
 

 それだけ言って、やはりきぃきぃと揺れる。

 鳴海は俺が、本当にほとんどなにも感じていないことを知っている。だから同情なんかは必要ないからしないし、俺だってされたら単純に困るのだけれど、鳴海はそれ以上に、どんな顔をすればいいかが分からなくて、困ってしまうようだった。可哀想と思っていないことは分かるが、それでも俺に傷痕が増えるのを見るのは気分が良くはないらしく、けれどそれすら知られれば俺が鬱陶しがるのではと勘繰っているのだ。鳴海にだって、時々は可愛いところもある。

 

「で、お前はなにしてんだ、そんなかっこで」
 

 すぐ風邪ひくくせに。つられるように俺も空を見上げながら問いかける。意味もなく散歩なんかする奴じゃない。きっとあの家には居づらいのだ。それは多分、今日がその日だから。
 

「…なんでだろうな、やっぱり、この日はくるんだ」
 

 きぃ。ブランコを揺らしていた足が止まる。
 

「また、母さんに近付いて、このままじゃいつか追い抜くんだと、そう思ったら、…そんな日がきたら、どんな顔して生きろっていうんだ」
 

 そんなの俺は、許してないのに。顔色も変えず鳴海はそう言った。
 ほんとうに、難儀なやつ。何度なにを言ったって、こいつはそれを受け入れやしないし、生き方だって変えられない。それでもこいつは生きていくのだ。ある日ぱったり、全てが手につかなくなるその日まで。

 

「誕生日、おめでとさん」
 

 そんなのは見たくはないなぁ。俺は漠然とそう思った。
 頭に手をやり、ぽんぽんと柔く叩いてやる。そいつはきゅうと眉を寄せて目を瞠り、その燻んだ群青のひとみを揺らしながら、俺を見た。けれどすぐにその目は伏せられ、顔はすっかり俯いて、表情すら前髪で見えなくなる。消え入るような、ひどく弱ってしまった声で、

 

「…めでたいものかよ」
 

 もごもごとそう呟いたきり、小さな肩を微かに震わせて、黙って撫でられていた。


 

 ああ、そうか、あれはもう、八年も前のことになるのか。
 俺の奥底にひどく根付いている記憶だ。寒空のした震えていた幼いあいつをよく覚えている。
 結局鳴海は寒がりを克服できないままだった。

 

 考えているうちそいつの部屋の前へ着いて、慣れた手つきでその鍵を回す。一度だけ座標移動で侵入したことがあったのだが、鳴海、と声をかけるより早く切っ先が喉を掠めて、一瞬驚いたような顔をしたわりにすぐ真顔に戻ったそいつが「殺すとこだった」、なんてけろりと言いやがったのをきっかけに、俺はインターホンを鳴らすようになった。なった、と言ってもそれを使ったのも一度だけ。あの日、インターホンを鳴らしてからしばらく待って、もう一度鳴らそうかと手を伸ばした瞬間に玄関は開き、迎えたそいつがなぜだかひどくむすっとしながら「面倒だからこれ使え」、と投げて寄越したそれを使うようになったからだ。
 

「なーるみ」
 

 適当に靴を脱ぎ、冷えた廊下を歩いて、居間の扉を開く。こちらに背を向け新聞を眺めていたそいつが、不機嫌そうな目線を一度ちらと寄越したきり、黙って新聞を読んでいるふりをしているので、俺は肩を竦め苦笑いして、赤茶に染められすっかり傷んだ頭を撫でてやる。
 祝ったって喜びはしないくせ、誰かに存在を許されなければ、こいつはどんどん、自分が生き続けているという事実の重さに、耐えられなくなっていく。自分の誕生日にまで決まって体調を崩すようになるなんて、そんなさまは見たくないから、お前が生まれたことをめでたく思う変わり者もいるのだと、そう教え続けてやらなければならない。ある日ぱったり、なんてそんなのは、この不遜な男には似合わないから。
 だから、

 

「誕生日、おめでとさん」
 

 言えば、やっぱり鳴海はきゅうと眉を寄せて、くちびるをきつく結ぶと、俯いて表情を隠してしまう。どうやらもうしばらく、その頭を撫でていなければならなくなったらしい。



2018/12/19

 

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