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分かりにくいひと

 鳴海が大怪我をして、長塚のおっさんのところで一日世話になったらしい。忙しくて行ってやれない自分の代わりに迎えを頼む、と、あいつの親代わりの存在である千秋さんから電話があった。またバイクでこけたりでもしたんですか、と冗談めかして言ったが(実際あいつは俺が山暮らしを余儀なくされていた間に、飛び出してきた猫にビビって避けた結果転倒し足を折ったことがあるらしい)、どうにもそんな馬鹿みたいな理由ではなく、それも結構深刻な怪我だったらしい。了解ですと返事をして通話を切り、俺の滅多にない休みと重なるなんて運の良い奴だと思いながら官舎を出た。
 あいつは怪我なんてあればあるだけみっともない、と考える奴だから、そんな怪我をするのは珍しい話である。なにかに巻き込まれたのか、あるいはまた同僚と揉めたりでもしたのか。同僚と殺し合うなと毎度思うのだが。そんなことをつらつら考えながら、その診療所に向かった。


 

「おっさーん鳴海引き取りに来たぞ」


 診療所のドアを開いて中を覗き込む。3つ並んだベッドは、一番奥のひとつだけカーテンが閉められていた。血を噴きながら戦うのが好きな自分でさえ、まる24時間もの安静を言い渡され拘束されたことはない。長塚という男の異能は、本人の治癒力を…なんだったか、とにかくどうにかして傷を無理やり塞ぐもので、一時的に身体が疲労するものの外傷の治療自体はすぐに終わるからだ。本当に一体なにをやらかしたのかと思いながら足を踏み入れる。
 

「あ?赤間が来るっつってなかったか」
「忙しいんだと、俺は代理。長塚くんによろしくだってさ」
「職場に遊びにくんなっつっとけ」

 

 つったってあんたここで寝泊りしてんじゃん、と目を細めながらカーテンを掴む。千秋さんとは高校生時代同級生だったらしく、…まぁ、あの人のことだから異能を持つ長塚にさぞ懐いたのだろうし、この人はは性格上、それがあまり嬉しくはなかったのだろう。今でもかなり煙たがっているが、それでも何だかんだと縁が切れていないあたり、まるきり相性が悪いというわけでもないように思えるけれど。
 と、カーテンを引こうとした瞬間、ああ、と後ろの長塚に制止される。

「気をつけろよ、なんか頭おかしくなってっから何するかわかんねえ」
「はい?なんだそりゃ」
「さっきは起きるなり暴れ出したんだよ、鎮静剤打って大人しくさせたがそろそろ切れてる頃だ」

 

 生きているということは勝って帰ってきたということで、負ける以外にあいつの頭がおかしくなるようなことなんて、…いや、なくはないのだが、今想像できる原因でおかしくなっているならば、暴れるということはまずないだろう。むしろ逆だ、部屋の隅で置き物になる、なんてことのほうが現実的である。この闇医者のもとでも一日の安静を強いられる怪我を負うほどの戦いのあとだ、と言うのならば、多少気が昂って攻撃的になっているということもあるだろうが、あいつは理性でもって思考を支配して生きるような奴だ。その可能性は限りなく低い。大体、いくらか気がおかしくなっていても俺の顔を見ればおさまるだろうから、そんなに問題はないだろうに、
 と、思っていたのだが、

 

「なーるみ、お前どうし、」
 

 え。
 情けない声が出た。カーテンを引き、その奥の群青の丸い瞳を認めた瞬間、

 

「…なんでお前が来たんだよ、千秋さんは」
 

 鳴海は光の如き速さで俺の腰に抱きついて、上目遣いにそう言った。


 

 こいつは一体どうなってしまったんだ。
 なんとか鳴海の部屋まで辿りついたものの、帰りの道中すらこいつは俺にぴったりくっついてきたものだから、それはもう参った。絵面がキツいため細い路地を選んで通る俺に、「なんで遠回りしてんの」なんてほざいたほどには気が狂っている。室内に入ってからなんかは、床に転がり雑誌を読む俺の腹に頭を置き、腰に腕を巻きつけていた。わりと重い。

 

「…お前、ほんとにどうしたわけ」
「どうもしてねぇよ」


 へなと眉を下げて笑う。この表情は確かに鳴海のものではあるのだが、それにしてもなんというか、ふやけている。声すらも。毒という毒がことごとく抜かれてしまっていた。嘘を吐いているようには見えないが、明け透けすぎて逆に怪しい。こんなに素直な男ではなかったはずなのだが。どうすべきか悩みながら紙面に目を滑らす間にも、そいつは俺の腹に額を擦りつけている。犬か。いやいつもそこそこ犬だけども。
 そうこうしているうちに時刻は昼の一時。そろそろ腹が減ったなと思い、鳴海を無理やり引き剥がして立ち上がる。台所へ向かう俺にやはりそいつは後ろから抱きついてきて、離れろと軽くこめかみを叩いてやれば、

 

「なんで?」
 

 ああ、なんだかもう頭が痛い。
 

 とりあえず楽だし、あとこいつの家の冷蔵庫にはいつも通りろくな食材がないので、炒飯を作って机に並べる。当たり前だが向かいに座ろうとする俺を、鳴海は上着の裾を引っ張り引き止めて、隣に座れと目で訴える。数十秒ほど睨みあった末負けて、結局そいつの隣に腰を下ろした。なんだこの気持ち悪い状況は。ていうか狭い。
 鳴海曰く俺が早食いなだけらしいが、自分では普通に食べているだけという感覚しかないし、むしろこいつの一口が小さいようにも見える。そう思いながら黙々と食べ進め炒飯が半分まで減ったところで、ピンポン、とチャイムが鳴った。
 が、部屋の主である鳴海は動こうとせず、淡々とスプーンを動かしているばかりだ。

 

「出ねーの」
「…やだ」
「なんで」
「二人でいんの久しぶりなのに」


 俺は速攻で玄関へ向かった。


 結構待たせたがまだいるだろうかと、一度鳴ったきりだったチャイムを思いながらドアを開ければ、そこには赤間が立っていた。それもそうだ、こいつの部屋を訪ねてくるのなんてこいつとその父親くらいのものだろう。赤間は俺の顔を見るなりあからさまに顔を歪めたあと、深く溜め息をこぼす。
 

「…そういうことか」
「開口一番なんの話だよ」
「…、…とりあえずお前にだけ事情話しとくから」


 赤間は最後まで徹底して俺と目を合わすことなく、淡々と鳴海の状況を説明した。疑問に口を挟むことすら許さずに。どんだけ俺と会話したくないんだこいつ、この顔大好きなくせに。

 曰く。
 鳴海は仕事でなんだかよく分からない異能と戦闘になったという。仕事って結局なにしてんだ、と訊いても「千秋さんの手伝い」としか言わない鳴海同様、赤間が仕事の内容を明かすことはなかったのだが、とにもかくにもそいつの異能は「一度目を合わせた対象から血を流させるごとに理性を削いでいく」ものだったと。仕事を終えてからのあいつの様子に違和感を覚えた赤間が、相手の異能を調べさせて分かったことらしい。呪いのようなそれを解く方法はただひとつ、「本能が満たされること」。
 淀みなく紡がれる言葉を飲み込もうと眉を寄せる俺を他所に、必要なことは全て伝えたと言って赤間は踵を返す。

 

「…てめえがいるんじゃ無駄だろうけど、仕事来てくださいって麻木さんに一応言っといて」
 

 去り際、あの鳴海が仕事を放棄している事実まで突きつけられ、いよいよ眩暈がした。その背を見送ることもせず玄関の扉を閉めて寄りかかり、眉間を軽く押さえる。

 理解したか、と言われると怪しいところではあるが、納得はできた。思考することで自分を動かしている鳴海から理性を奪った結果があの大怪我だ、ということなのだろう。いつも最短で導き出している最善を、あいつは選べなくされたのだ。それでも生還したのはほとんど奇跡に近いだろう。あいつが俺を心底好きでいることくらい知ってはいたが、まさかこんな事態に陥るとは。
 つまるところ。あいつの気が済むまで、この「だいすき攻撃」に付き合ってやらなければならないわけだ。じゃなきゃこれが永遠に続く。重くなった肩を一度回して、不貞腐れているであろう鳴海の待つ居間へ引き返した。



 

 疲れる。
 多分こいつは悪く、はない、と思うので、…いやでも少しくらいはこいつも悪い、あまりにも俺を好きすぎる。そんなことを言ったって仕方がないので溜め息を飲み込んではいるが、敏感な奴だから俺が疲れていることを感じ取ってはいるだろう。それでも態度が変わらないあたり、本当に理性はほとんど残っていないらしい。

 鳴海は俺がなにをするにもどこへ行くにも、本当に、物理的にべたべたと引っ付いて回った。風呂にまでついてこようとしたのにはさすがに困ったので、勘弁しろと洗面所までで我慢させたのだが。それ以外はなにを話すでもなくただ黙って抱きついて、時折俺の目をじっと見つめるばかりだ。とてつもなく居心地が悪い、非常に視線が痛い、それを感じているとどうしても落ち着かない。スラムで育った弊害だ。
 あれから無理やり引き剥がすことはしていないが、一体いつになったら満足するのだか。もう日付も変わったというのに。

 

「…鳴海、俺そろそろ寝るけど」
 

 胡坐をかき、座椅子の背もたれに寄りかかって雑誌を読む俺の膝の上に乗って(やっぱりわりと重い)、じっとこちらを見ていた鳴海にそう言うと、案外素直に退いて立ち上がった。雑誌を放ってもいつものように「ちゃんと片付けろ」と説教されることすらない。俺に甘い奴だと分かってはいたのだが。

 寝室へ向かおうと一歩踏み出したとき、くいと髪を掴まれた感覚に振り返る。俺の湯上りにおろしたままの長い髪をひと房掴んだ鳴海が、罰の悪そうな顔を伏せながら、カオル、と、ちいさく名前を呼んだ。
 

「どした」
「…、なぁ、その、」
「…なんだよ」
「……してほしい」


 え。
 ぱっと顔をあげてそう言った鳴海は、目を瞠り硬直する俺を、顔色も変えず、やっぱりじっと見つめている。
 や、それは、喜んで。そう言いたいところだが、黙ってしまった俺に瞳を不安げな色で揺らしはじめた鳴海を見て、ああ違うのかと、少しばかり安堵する。こいつが願って「してほしい」なんて言い方で強請るのは、そんなに分かりやすくて自身の快楽に繋がることじゃない。それはずっと前から俺にとっては当たり前で、今日一日のこいつの行動をなぞれば、なおさらはっきり分かることだ。
 苦笑いしながらそっと頬を撫でて顎を上向かせてやれば、眉尻を下げてやっぱり毒の抜けた瞳で手のひらに擦り寄った。そのまま手を滑らせ頭を抱き込んでやる。右腕も腰に回して密着すれば、鳴海は肩の力を抜いて、おずと控えめに俺の背に腕を回した。
 こいつは、するのではなく、されたかったのか。
 明け透けに見えた態度は、鳴海らしい本当の願いを隠す手段で、いつもと違う声と態度に惑わされ、それに気付いてやれなかった。謝るように髪を掻き混ぜた瞬間、そいつは突然膝から崩れ落ちる。ぎょっとしながら支えて顔を覗き込めば、呑気にも眠っているようだった。恐らく異能の効果が切れたせいだろう。
 本当に、困ったやつ。一度だけその鼻の頭に小さく吸いついてから、肩に抱え上げて寝室へ向かった。

 

 翌朝、一連の記憶がしっかり残っていたらしい鳴海が投身自殺を図っていたことは、言うまでもない。
 

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