#10 05/08
「だーかーらー!俺が先輩なの!」
「だーかーらー、ちゃんと先輩って呼んでるじゃないっすか、ね、センパイ」
「態度!態度が後輩らしくない!」
びしり、新人である橘アキを指差す吉川のその背は、いつもの通りにピンと伸びている。赤間はその様子を微笑ましく思いつつ、しかしよくこれだけ毎日喋り倒しながら動き回れるものだと、もはや感心の域に達した苦笑いが漏れた。
少年は恐らく、ずっとこう在りたかったのだだろう。それが許されない異常な環境から抜け出し、ようやく自由を手に入れた、その反動なのだ。仕事帰りの自分が拾ったその日から、吉川は次第に明るくなり、喧しいとレイに煙たがられるほど賑やかな存在になって、もうしばらく経つ。
赤間は気が付いていない。自分という籠の中に吉川をしまい込んでいること、少年は文字通り人形のように赤間から愛されるために生き、自由とは未だ遠いこと。
「…なんだ、喧しいな」
「お、おはよーさ…ん?いや、おやすみか?」
「寝ようと試みて失敗して起きてきたところだ」
「あっそ。はよ」
開かれたオフィスのドアから現れたのは、不機嫌そうに顔を歪めているレイだった。赤間の斜め向かいの椅子に腰掛けると、持ってきたらしい眠気覚ましと思われるコーヒーを開け、一気に飲み下す。不眠症って一応眠くはなるもんなんだなあとなんの気なしに思いながら、ちらりと横目で吉川を見遣った。未だ吉川をからかい楽しんでいる橘と、なにやら口論のようなものを繰り広げている。
「しっかしさぁ、あいつら見てると懐かしくなるわ」
「何がだ」
「こう、既視感のある喧しさなんだよな」
「それはお前とルイのことなのか、麻木とルイのことなのか」
「あンのクソ潔癖ヤローの話なんかしてねぇだろ!!つーかそれどっちも現在進行形!」
「あんな可愛げのある騒ぎかたをする人間がこの組織に存在していたものか?5秒後には獲物を抜くだろう、ここの連中は」
「お前だお前、吉川とお前だよ」
声もなく目を丸くしたレイは、しかし言い返すことはせず、罰の悪そうな顔をして、騒ぐ橘と吉川の方へと視線を流す。
殺伐としたこのオフィスに初めて殺意のない声を響かせたのは、他でもない、その二人だった。
「…赤間、何だあのガキは」
いつもより数割増しで不機嫌そうなレイがそう言った後ろでは、吉川がべっと舌を突き出している。
どういう采配か知らないが、この組織に入ったばかりの吉川の教育係を任されたのは引き連れてきた赤間ではなく、レイだった。"ボス"から通達されるのはいつだって確定事項で、それに異議を申し立てる度胸など、赤間にはない。当然それがボスの決定か父の意向かを知る術さえも。
そうして、赤間がどことなく不服に思っていようとも、訓練は予定通りに始められた。が、当の二人の相性はひどく悪く、いつまで経っても全く噛み合わなかった。今になってこそ、あれが二人にとっては噛み合った状態だったのだろうとは思えるのだが。
「んだよ、怒ってんの?」
「…怒ってはいない、子供相手だぞ。そう言い聞かせ獲物を抜かないよう左手を握り締めているだけだ」
「そういうの多分、殺意って言うんだけど」
握る拳に力を込めるあまり肩を震わすレイの横を吉川はさっさと通り過ぎ、赤間、と嬉しそうに駆け寄ってくる。労いたくともまだ訓練中であり、本来の休憩まで数時間を残していた。
レイは短気で大人気なくて幼稚でわがままで家事も何もできないブラコンだが、剣の腕は確かだ、と、赤間は彼をそう認識している。実際、異能を含めれば戦闘力、どころか緊急時の冷静さや判断力までも双子の兄に二歩三歩劣るものの、ゆえに異能に頼りがちな才能人の兄に追いつく努力をしてきたレイの方が、刃物の扱いは上だった。吉川の光を操るという異能は、直接的な攻撃手段として用いるのは難しいため、必然的にとりあえずで刃物の扱いから学ぶことになる。組織のトップを争う強さを持ち、戦闘慣れもしているルイを超えているのだから、レイの訓練を真面目に受けておいたほうがいい、というのは明白だ。兄より苦悩を知っているという点を見ても、教育者には向いている。
つまるところ"ボス"が意図していたのもそういうことであるのだが、赤間にそれを推し量れるだけの深慮さはない。
「吉川、あいつは確かにアホだし」
「おい」
「幼稚な挙げ句偉そうだけど」
「おい!」
「訓練くらいは真面目にやんねーと、俺の仕事について行きたいなんて言ったって無理なんだからな」
「撤回しろ!」
「あーもーうっせえな、だからお前はそうなんだよ」
「どういう意味だ!!」
そうして恒例のやりとりをある程度終えたのち、渋々訓練場に戻っていく吉川を見送るのだが、一時間後にはまた似たような状況で二人して戻ってくるという、何とも困ったことになっていた時期があったものだった。というか結局、今も訓練となればああなっているのだが。半人前の吉川の訓練に、一応、時々、気が向いたらなどと言いながらも付き合っているレイは、そのたび吉川の生意気さに腹を立て、コーヒーの空き缶を叩きつけるようにゴミ箱へ投げ捨てているので、そういう場面に遭遇するたび、ああ今日も訓練をつけているのだなと、見慣れて微笑ましさも感じなくなった日常を、赤間はぼんやり眺めたりするのだった。
そもそも、なぜ吉川はレイに対してああなのだろう、生い立ち上大人は苦手なはずなのだが、どうしてか周りの歳上たちには遠慮がなく物怖じもしない。
はてと首を傾げ思い浮かべたのは、例の双子と、それからかのボスの顔。ああ、これは、きっとダメだ。赤間は密かに項垂れる。
ルイはまだしも残りの二人は、子供にはなめられても文句を言えない程度には、表面化する部分が多少なり子供染みているからだ。レイはよっつ離れた吉川と対等に口喧嘩をするほどなので仕方ないのだが、ボスと呼ばれる男でさえ、その行きすぎた横暴さが、子供のわがままのように見える場合もあるだろう。橘がそう呼ぶ名がそもそも揶揄であることからも、それは伺えることである。いつだったか、どこぞの軽薄な男が彼のことを「五歳児」と例えたのは、赤間にとっては腹立だしくも、割と的を得ていると思わざるを得ない。それをその男以外が口にしようものなら、まばたきさえ待たずその首は宙を舞うのだが。
「いいから黙って俺の言う通りにしろ!」
「レイだって子供みたいじゃん!おれと大してかわんないもん!」
「その口の利き方をまず直せ、教わる身で呼び捨てにするな!」
「はいはいすみませんでした、あーっもう!レイくんめんどくさい!!」
赤間が一度だけどうしても、と興味が湧いて覗いてしまった訓練場でのあのやりとりが、橘を見ているとどうしても思い出される。なるほどレイくん、とはやはり嫌味であったかと、そう思ったあの日の光景が。
そしてこの新人も嫌味をこめて、先輩と、年下の吉川をそう呼ぶのである。
「歴史って繰り返すんだなぁ」
ぽつりと零した独り言は、しっかりレイに拾われたらしい。ぎゅうと不機嫌に金の瞳が細まると同時に、大きな音を立て立ち上がる。報告書でも書きにきたのだろうに、なにをすることもなくただコーヒーを飲んだだけで、オフィスを去っていった。