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#18 06/04

 妹は、世界のしくみを知らない。まともではない環境で育ったがゆえで、そうしてそういう環境で育ってしまったのは、俺のせいだった。

 

 俺は五歳の時に、音を操るこの異能を発現させた。異能を疎んでいた父は、既に生まれ当時一歳だった妹のナギ諸共に、俺たちの前から忽然と姿を消した。
 母は異能への興味があるにしろないにしろ、子供より男のほうが大事であるようなひとだと、幼いながらに両親の会話の節々から予想はついていたから、捨てられたあの日も、ふたりの帰りを待とうとは少しも思わなかった。母は元夫である男と反りが合わず、子供を生んだばかりだというのに、俺の父と不倫していたひとなのだ。結局その子供が異能の早期発症例だったから、と理由をつけて逃げてきたらしい。
 母がその男と正式に離婚したのかまでは知らないが、俺にはひとつ上の兄がいるらしいということだけは、父から聞かされていた。妹を自分ひとりで育てなければならなくなったとき、藁にも縋る思いで兄の家を訪ねようかとも思ったが、当時の自分に名前から所在を割り出すだけの知識と術などあるわけもなく、そのまま兄とは会ったことがないままだ。兄が現在どこで何をしているかを知ったのは情報屋を始めて数年が経ったころのことで、その頃にはもう、接触する理由もなくなっていた。

 情報屋という職業を知ってはいたが、五歳の子供にできることではなかった。
 だから日々、異能で人を脅しては金目のものを置いていかせる、なんて俗悪な暮らしをして、時折は、遠くのビル内で行われている機密事項のやり取りを盗み聞いて売る、という、練習と実績収集を兼ねた見習いのようなことをして食べ繋いでいた。いつかこの仕事だけで安定して食べていけるようにならなければと、異能をコントロールするための正しいのかも分からない訓練を、日常に組み込んだものだった。

 そんな暮らしを、妹のナギにだけは、見せたくなかったのだ。

 人から巻き上げた金は「兄の家からの援助」だと嘘を吐き、両親が自分たちを捨てた理由を隠して触れずにいたら、学校にも通えていない妹は、両親のことを「初めからいないもの」だと思うようになってしまった。連れてスラムを歩くときは必ず大通りを選び死体など見せなかったし、浮浪者に襲われれば、俺が鼓膜を本人だけに聞こえる爆発音で破り、隙を見て逃げた。だから妹は、そう。
 生死というものが分からない。

 死ぬ、ということを知らないまま、12歳になった。

 「痛いこと」は知っている。妹自身が些細な怪我をしたり、俺が浮浪者を追い払うさまを見て「苦しそう」だと感じたりしたことから、痛いことはよくないこと、かわいそうなこと、という認識だけは持ち合わせている。
 けれど、それだけだ。

「ねぇ、カガミって人をころすんでしょ?」
「そりゃそーよ」
「それって痛いことしてるの?」
「さあ?痛くはないんじゃない、一瞬だしね」
「そうなんだ!痛くしたら怒るよ、かわいそうだもん」
「気をつけまーす」

 そう、彼も。

 ナギがまともでなくなったのは俺の責任であるわけで、であれば、同じようにまともではいられなかった四季も、やはり誰かや何かのせいであるはずで。
 ナギは痛みというものを知り、昔よりずっとひとに優しくできるようになった。本人は優しくしたいと思っていても、他人の苦痛を知らなかったり愛された記憶がなかったりすれば、正しくひとに優しくすることができない。結果として本意でなくても相手を傷つけてしまうことはあって、それは当然、優しくすることができなかった本人をも傷つける。

 四季に、優しくされる気持ちと、それを抱いたときの他人の行動を誰かが教えてやれればきっと、彼は狂うことをやめられる。それは妹を歪ませてしまった俺の勝手な贖罪かもしれなくても、それでもと、願うことをやめられずにいた。
 彼は穏やかな感情を覚えたとき、どんな顔をして、それを表現するのだろう。

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