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#26 06/23

 まさに治外法権。不可侵のルールというものが、ここには存在する。

「お前、まだ赤間んとこのガキ甚振って遊んでんのか」
「人聞き悪ィな、死ぬまでやるぞ」
「んなこと宣言すんな」

 ちょうど千夏を一頻り転がしたあと、レイと裕貴が降りてきてはやいのと騒いだので、ついでだと長塚のもとへ足を運んだ。

 この闇医者の持つ異能は治癒力操作。治療される側の持つ治癒力や体力を無理やり活性化させ急速に傷を塞ぐもので、当然のちの体力や免疫力に大きく影響するために、本来であれば乱用は厳禁である。そんなこと知っちゃいないと俺はたびたび治療させるが、直後はやはり少しの傷でも出血が酷く、そのさまを見てやっぱり乱用は厳禁だなァ、と思うのである。

 千夏に治療させている間、きゃんきゃんとよく喋る子供が長塚や千夏に話しかけている後ろ、レイがオフィスであったことを律儀に俺に話したものだから、俺は肩で笑った。
 俺が千夏を戦わせる理由。そんなものをアキは知りたがったらしい。よほどに暇なのだろう、俺の弱みとなり得る情報を掻き集めたくて仕方ないのだ。そんな暇もなくなるくらいに仕事を増やしてあげようか、そんなことを話してレイが苦い顔をしている間に千夏の治療は終わり、三人はまた、やいのと騒ぎながら出ていった。

 さあ、俺はどうするか。
 放っておいても構わないが、明日の仕事までにはさすがに治らない。仕事には常に万全の状態で、と言いたいけれど、やはりこの男の異能は乱用厳禁で、どちらをとってもそれなりのデメリットがついて回る。最終的に俺が問題なく仕事をこなせばいいだけということにはなるし、いま結論を急ぐことでもないと、片側の足にくるぶしをひっかけ、その膝に肘を乗せ頬杖をつき、普段より緩い速度で頭を動かした。
 けれども数分もたたないうち、診療所の建てつけの悪いドアが軋みながら開く。思考が一旦止まった。
 そうしていざ現れたのは、果たしてどこで聞きつけたか。真っ青な髪を揺らす、例の指名手配犯だった。

「おじさーん、ちょっと自分の異能に巻き込まれたんだけどー」
「お前は頭が悪すぎる」

 言いながら、鏡見はみっつ並んだベッドの一番手前、ドア側のひとつに座らされる。腹がひどく焼け爛れ、派手に殺しまわっているわりに自身は痛みへの耐性がないのか、歩くのがやっとという風に足を引き摺っていた。それをちらと見たきりで、下手に関わりを持たないよう、真向かいの壁に目を戻す。

 俺はもとよりこの犯罪者をどうこうするような役目などないから関係ないが、この診療所は特別で絶対な法律の支配下にある。敷いているのは他でもない、主である長塚だ。
 金さえあればどんな人間も、どんな傷でも治療すると謳って生活をしている男だ。当然鏡見のような人気者も、俺のような準犯罪者だって利用する。存在さえ知っていればそれらを取り締まる側だってここに来るだろうし、それだけで鉢合わせると面倒なことになるというに、それ以上に厄介なのが情報屋だ。ここで得たものを商品にされては誰もここに寄り付けなくなる。
 ということを予見して、だ。予め、ここは外とは完全に隔離された空間であると了解した者、つまり「ここで誰と会ってもなにが起きてもすべてなかったことにする」、という意思を明確に示した人間だけが利用できる場所である、ということに、なってはいる。当然、そんな理想の全てがまかり通りはしないが、その法を犯した人間がいたとなれば、長塚が千秋の旧友であるというよしみで、組織で格安で暗殺を請け負ったりはしてやるし、長塚自身も一切情報網を持たないわけではない。ある程度の抑止力はあるだろう。実際ここで揉め事が起きれば、長塚は両成敗だと言って、異能を乱用したのち撃ち殺している。どこを掠めただけでも助からないほど出血するまでに体を弱らせることができる、そう、結局は異能なのだ。

 とはいえ決して有名な診療所というわけでもない。どちらかといえば身内のみ知り、その身内が身内を呼んでという程度の賑わいだと思っていたのだが、先ほどの口ぶりから察するに、この指名手配犯は何度かここを使っているらしい。本当に、どこから嗅ぎ付けたのか。

「ほらよ、終わりだ。あとはいつも通り」
「出来るだけ安静に、でしょ」
「俺は言ったからな、あとは知らないぞ」

 治療が終わったらしい、外傷がすっかりなくなった鏡見は立ち上がり、はいはいと口だけで返事をしている。どうせ治ると知ってしまうと気が抜けるたちなのだろう、俺もそっちだと思われているところはあろうが冗談じゃない、俺がここを使うのなんてそれこそ訓練のあとか――
 鏡見が建てつけの悪いドアを開く。ちょうど入ってきた人物とぶつかりかけ、しかし直前で向こうが半歩引いた。


 ああ、そう。ほとんど常連であるこいつとの、乱取りのあとくらい。

「あーすんません」
「お、…っはは、いーえこちらこそ」

 鏡見はぶつかりかけた男の顔を見るなりそう笑い、愉快げな足取りでもって出て行った。
 入れ違いで入ってきた彼は、一番奥のベッドで頬杖をつきながら一連のやりとりを眺めていた俺に気付くと、気安く手を振って薄く笑う。

「鳴海じゃん、なに、サイにでも轢かれたか?」
「それでも墓に埋まってないと思ってもらえてるたァ光栄だ。てめェこそ無傷じゃねェか、ここは外科だぞ」
「俺はちょっとパフォーマンスで毒を飲んだだけです~」
「どんなだ」

 相変わらず言うことがずば抜けて軽々しい。呆れて目を細める。
 けれどそう言ったカオルの言葉は大体本当なのだろう。おっと、なんて一度よろけながら俺のもとまで来て、同じベッドの真後ろに腰かけた。

 異専。警察といえどやはり異能だ。いくら薄給で馬のごとく働かされているとはいえ、国が飼っているということそのものが面白くない上層部など、山といることだろう。それらに勧められた食事を、やっぱり彼も彼だ、得意の知らぬふりで笑って食べたに違いない。治癒力を高めることで吐き出すなりはできるだろうし、仕込まれたモノと長塚次第だが、解毒剤ならあるかもしれない。

「おっさーん何でもいいから解毒はやくして」
「じゃ俺のあばらもついでにくっつけてくれ」
「居酒屋じゃねえぞここは」
「何、お前また赤間にやられたの」
「一発だけだしあいつ気付いてねェよ」
「いやあいつどんだけバカなんだよ」

 カオルは一人で座るのさえつらいとでも言うように、俺を背もたれにする。

 長塚が薬棚を漁る音がする。在庫さえあれば異能に頼らずとも解毒できるだろう。俺の異能は人体には影響させられないし、彼の異能もまた、移動元の座標が分からなければ演算のしようがない。
 俺は空いていた手をベッドのふちに深くついて、寄りかかってくる重みを受け止めた。

「あいつ、俺がどこの誰だか知ってんだなあ、いま私服なのに」
「そうだな」

 ぼそり、カオルは長塚に聞こえないよう呟いた。

 漏れている。どこから何が、どこまで。少なくとも椎葉カオルが異専の一員であることとその顔が、指名手配犯に。
 単独犯の動きではない、そのくらい彼は分かっているだろう。素人が逃げているだけにしては、あまりに足取りが掴めないままだ。

「…参ったなぁ」

 いつものとおりに感情の伴わない声で、けれど確かにカオルは言った。
 彼は恐らく見当がついている。どこから何が、どこまでか。

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