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#29 06/30

「異能とは」

 感情と意識に深く結びついたものである、と彼は言う。それと同時に右から振るわれたレイピアを寸でのところで後ろに跳び避けた。

「つまりは集中力が必要だ。千代森の異能が安定しないのは、それを振るう理由が足りていないのかもしれん」

 と思ったものの、頬を掠めていたらしい。ヒリと痛む熱さと伝う液体に、軽く唇を噛む。

 悔しいのはなぜか。プロであるレイの攻撃を、いつになっても完璧に避けられるようになると思ってはいない。それを目指さなければならないことは分かっていても、理屈として今から彼に追いつくのは無理だ。技術的なことじゃない。
 レイの言うとおり、自分には力を求める明確な理由がない。当然、こういう世界で生きていくには求めるべきものだということは理解しているし、いつまでもナツキに守られているわけにもいかないという意識もまた、内に強く存在している。けれどレイはそれらでは足りないと言っているのだ。外的な義務ではない、俺自身が求めてしかるべき理由。感情が伴わなければ、安定には遠いと。

 

 記憶をなくした弊害は、感情の不足という形で表れていた。すべてが人のことのよう、遠くぼんやりしたものに見えて、手を伸ばす道理がないなんて、無責任なことを思ってしまう。律すべきだと客観視はできても、切羽詰った自分の都合には、何もかもがなってくれなかった。

 そのことへの焦りと悔しさだ、これは。自分のすべてが霧散して、それをこうしてレイやナツキが、他人が補ってくれてようやく命を得ているという、不甲斐なさ。

「…それでも、ありすぎるより無いほうがいい場合もあるというのは、皮肉なものだが」

 不意に呟かれたレイの言葉に顔をあげる。意味を図りかねて、首を傾げることもせず、黙って彼を見ていた。
 知っておいて損はない、とレイは前置きして、沈めていた視線をこちらへ寄越し、続ける。

 

「異能を扱った際の使用者へのデメリットは、暴走と拒絶反応、過剰使用による反動が認められている。そもそもが突然変異なのだから、運用には相応の慎重さが求められるということだ」

 曰く。その突然変異を感情が強く拒んだ際、身体の防衛本能として起こるのが拒絶反応であり、各々の持つ異能に関する外部からの刺激を、身体が一斉に遮断しようとする働きを誘ってしまうのだという。多くは緩やかに体を蝕んでいく病魔のようなそれに対し、一気に思考の自由を奪われ意思のないまま異能を振るってしまうのが、暴走。強すぎる感情に任せ異能を使うと陥りやすいという。反動は多くが暴走のあとに見られ、使用者のキャパシティを超えた乱用により、拒絶反応と同じく異能に関連する身体部分になんらかの形でダメージを与える。
 それから全てに共通して言えることは、そのキャパシティ、諸症状を起こすまでの「限界」という天井の高さは個々により、加えて出力可能な最大火力と比例している場合が多く、それを以ってして異能には「才能がある」と言われている、と、彼は言った。

 

「今後、千代森にも異能を使うべき理由が現れるかもしれん。だが、やはりこの力は体に起きた異変だということを、忘れてくれるな」

 

 説明を終えたレイは、構えていたレイピアを地に突き立て、目を細めた。
 知っているようだった。見てきたかのような口ぶりだった。異能に飲まれた人間のことを。

 俺は何も言えず、ただ頷くだけだった。彼は気付いているからその目で俺の向こうを見ているのかもしれない。やはりどれも、俺の都合にはならなくて、そんな力を自分が持っているという実感など、湧くはずもなかった。

 

「…疲れた」

 と、男が言うので。

「あら、珍しい」

 と返すことしか、ナツキにはできないのである。

 ナツキの構える事務所に双子が訪れる確率は低くない。それでも最近はしばらく顔を見ていないような、とナツキがカレンダーを眺めていたとき、いつものように居間の窓は開かれ、双子が上がりこんできたのだった。

 千代森がまたレイに稽古をつけてもらっている上で、ルイは珍しくも疲れを露わに、普段より幾分だらしない座り方でそのソファに腰をかけていた。疲れているのだな、とナツキが思いながら見ていれば、疲れたとルイが言ったので、

「紅茶がはいったけれど。飲む?」

 そう言って、以前赤間に言われたことも忘れながら、ポットを傾けるのだった。けれどもルイは頂こうと言って、相変わらず味が薄かったり渋かったりするその液体を、猫舌ゆえ少しずつ飲み進めていく。

「私でよければ、話くらい聞けるわ」

 向かいに腰かけ、ナツキはそう言った。経験上、ルイが特に隠していない事柄なら首を突っ込んでも問題ない、と知っている。多くは仕事に関係しないことだからだ。余計な詮索、とは、ナツキの好む好まないに関わらず性格上やってしまいがちなことであるが、それを把握して上手に隠しごとのできるルイは、ナツキと関わるのがひどく得意であるといえるだろう。
 ナツキに促され、果たしてルイは悩む素振りさえ見せず流れるように口を開いた。

「身内の処分など慣れているが、同期が未だに喧しく騒ぐのだ」

 てっきり仕事の話ではないと思いこんでいたナツキは、続いた言葉に目を丸くする。しかしルイが疲れたと言ったのは、身内の処分という仕事のことではなく、それについて騒ぎ立てるという同期についてのことだから、彼にとっては秘匿すべき情報でもないのかもしれないと、ナツキは一度まばたくだけに留めた。あまり変わらないようにも思えたが。
 とにもかくにも話を聞くと言った以上、話し出したルイを止めるという考えには至らないし、ナツキは初めからルイが潔白の身であるから好んで関わっていたわけではない。今更どんな話をされようと驚くほど青くもないと、会話を続けた。

「異議のある人がいるのかしら」
「事は済んだというに、いつまでも駄々っ子でいられると思っている」
「意外だわ、そういう人もいられる組織だったのね」
「除名できるならしていただろうな。綺麗ごとが好きなくせひねた年頃なんだろう、あるいは」

 自分の嫌いな父のためになることなら何でもやってのける、という人間に囲まれているのが嫌いなのか、両方か。ルイはそう溜め息をついて、ナツキの淹れた紅茶を飲み干す。

 ナツキには赤間の複雑な気持ちを理解してやることはできない。自分は思春期というものを迎えられなかったし、根本的に人が好きであるからだ。それは当然人を、ナツキを嫌う赤間も含めてであり、そういうところが彼に煙たがられる所以であろうと分かっていながら、いつまで経ってもきっとやめられもしない。

「大変ね、あなたも赤間も」

 つまりは実行犯に食ってかかったのだろう、彼は。指示を出しているであろうボスには、本人曰く到底逆らえやしないらしいから。

 それにしたって自分への警戒心が薄すぎるのではないか、ルイはもしかして今会話している相手の職業を忘れているのではないかなんて、ナツキは嬉しく思った。誰の、なんの話をしているのか、こんなに明け透けでいいものだろうか。さして特別なことではないというふうに、ルイの日常を聞かせてもらえること、触れられること、それを通して彼のなかに自分が欠片でも残るなら、それはひどく光栄なことだと。

「ナツキには及ばん」

 ルイはまるで知れたように力を抜いて穏やかに笑うと、もう一杯頂こうと言い、空になったカップをナツキに差し出した。

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