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#3 04/14

 それは二年前、肌寒い秋のこと。少年はひとが嫌いだった。

(どうして俺はこんなこと)

 明るい茶髪を揺らし、ぐらつく紫の瞳は丸く、その顔は幼かった。少年の名は赤間千夏という。すこし前の夏に14歳になったばかりだった。
 少年はふらつく足で考える。

(どうして俺はこんなこと)

 しかし少年の思考はそのフレーズを繰り返すばかりで、一向に先へ進もうとはしなかった。どうして、と問いながら、その答えを見つけることを恐れている。言い訳を見つけて自らの行いを肯定するにも、客観視して否定するにも、度胸が足りない。赤間はこれ以上生き方を変えるのが怖いのだ。少年はとにかく変化を恐れた。自分がどうにかなってしまう、その決定権を自分が持っている事実さえ、臆病な彼には重荷すぎた。

 少年は人殺しである。今もその手は血に濡れていた。
 より正確に言うならば暗殺者だ。人に雇われ、人を殺す。そうして生きていくのが彼だ。けれど少年には不幸が2つあった。

 1つ目は異能を持って生まれたこと。
 少年の異能は冷気を操るものである。何度も人体を内側から凍りつかせて殺した経験があった。異能を持つ時点で、まず普通の人間と同じ生活は送れない。少年は恐れられ、煙たがられ、迫害される側の人間として生まれてしまった。それは人生の選択肢を大きく損なわせ、ひどく生きにくくする枷である。

 2つ目は、父親が赤間千秋であったことだった。
 少年の父、千秋は、それはそれは変わり者で、異能という現象を心から愛しているとのたまうような人間である。様々な薬品を取り扱う会社を興すと、経営者として優秀だった彼は一代で社を非常に大きくしてみせたが、困ったことに彼の本質は研究者としてのそれであったのだ。異能という不可解な現象を見過ごせなかったし、実際に研究チームを設けて日夜研究に没頭しても解明し尽くせないそれに、毎日心を躍らせていた。その変人ぶりに妻に逃げられても彼は止まらなかったのである。穏やかな人格者であるが、それと同時に、人を殺す才能に価値を見出したという、確実に異質な、研究者でもあったのだ。
 当然、息子が異能を持って生まれたことをひどく喜んで、当たり前のように研究対象とした。リビングでは父親としての顔で極めて優しく接するくせ、会社では研究者として冷たく息子を観察し、異能どころか武器を扱う訓練を――人を殺す訓練をさせていた。どちらが表で裏で、というわけではなく、ただただそういう人間であるだけの千秋は、少年を着実に、人間兵器へと育てていった。

 そういった生い立ち上、当然少年は父が嫌いであった。異能を持ち生きる術を選べないなかで、父親という絶対的な存在に与えられた仕事が「人殺し」。少年は父を心底軽蔑していたし、異能が愛しいというその感性もまた、理解できなかった。少年は異能が大嫌いだった。それを拒絶すればするほど冷えて痛む指先を、つめたさも諸共に切り落としてしまいたいほどだった。

 突然変異である異能は、個人差こそあれど、身体との親和性がそもそも低いものである。そのうえ精神までもがそれを強く拒絶したとき、恐らくは防衛反応として、宿した異能に関連する刺激を大袈裟なまでに体が嫌って過敏になり、逆に本人への攻撃として症状が出てしまう場合がある。千秋の研究でもそう仮定付けられ、それを拒絶反応と呼んでいるが、父を嫌う赤間は、その仕組みを知らずにいる。

(どうして…)

 どうして自分はこんな状況に甘んじているのか。どうして父は自分に人を殺させるのか。なにもかも赤間は知りたくなかったし、受け入れたくなかった。全て幼さを盾に跳ね返してきた。これからもそうやって逃げ続けながら生きていこうとする意識さえある。嫌なことからは目をそらしてきて、それでも今こうして生きているのだから、これからだってきっとうまくいく。根拠なんてなくても、そう思い込んでやり過ごすしかなかった。

 そうしてふらふらと彷徨うように歩くこと数分。ふと気がつくと、少年の足元に、人が落ちていた。

 落ちていた、という表現がぴったりなそれは、霧雨のなか、哀れに惨めに地に伏していた。秋のスラムのコンクリートはさぞ冷たいだろう、可哀想に、ご愁傷様。もとより他人を気にかける余裕などあるわけもない少年は、それだけをひとつ思って通り過ぎようとした。そもそも生きているのかさえ怪しかったのもある。

「う、…」

 しかしそれは小さく唸った。そして興味本位で覗きこんだ顔は、ひどく白くやつれていて、けれども見事なほどうつくしいつくりをしているではないか。赤間は立ち止まってしゃがみこみ、その顔のために無遠慮に前髪を払って、まじまじと見つめる。恐らくは男であると思われる弱々しいそれは、綺麗なその眉を少し寄せて、魘されるように震えている。
 よしと赤間は思い立ち、軽々それを抱え上げると、幾分まともな足取りで歩みを再開させた。

 

「赤間、赤間ー?起きて、時間だよ」

 と、そこで意識が浮上する。
 懐かしい夢を見た、と、思った。わずか二年前の出来事ではあるが、それからの日々は毎日が色濃くて、ずいぶん昔のことのように思われたのである。

 自分を揺り起こした人物、かつて人形のように道端に倒れていた少年、吉川裕紀。
 ひとつ年下の彼は鬱々として塞ぎこみ、与えた部屋に引き篭もっていたものだが、可愛らしさゆえ毎日話しかければ日を追うごとに明るくなり、今ではすっかり眩しい笑顔をふりまくようになって、時々うるさいくらいにお喋りだ。ここにいること、それを知ってくれているひとがいることが嬉しくてたまらないといったふうに。

「ああ、悪い、…懐かしい夢見てた」
「夢?」
「そう。お前を拾う夢」
「なんだあ、そんなこといいから、ほら、急がなきゃ」

 眉を下げて、吉川は大袈裟に赤間を急かす。彼は赤間を親鳥のように思っているのか、後ろをついて離れない。それこそ仕事のときまでであり、結局彼の存在を父に隠しきれなかった赤間は、吉川の願いを叶えてやるしかなくなった。「赤間といつでも一緒にいたい」という、ひどく単純で難しい願いを。

 吉川は現在、とある双子の弟、赤間の友人であるその青年に稽古をつけてもらいながら、暗殺者として修行中である。吉川が持つ光を操る異能は姿を隠すことに長けるため、実際のところ、暗殺に非常に向いている異能ではあったのだ。吉川のことまでやはりにこにこしながら雇ってみせた父を、赤間はなおのこと強く恨んだが、吉川も言い出したら聞かない性分であるために、それ以外どうしようもなかったというのが現実だ。吉川は夜に一人でいることを異常なまでに寂しがるため、仕事のたび置いていくのが心苦しく、結局赤間が根負けしたのである。

 吉川は自分の過去について話したがらない。けれどそれは赤間も同じだった。自分の醜い部分を晒したくはない。臭いものには蓋をして、押入れの奥の奥へと押しやって、忘れてしまおう。今が楽しければそれでいい。赤間は救われていた、他でもない、吉川裕紀という少年に。
 その明るさと無邪気さに、不謹慎にも、心底。救われていた。

 吉川を拾ったあの日。赤間の手はやはり血に濡れていた。屋敷ひとつをまるまる、使用人一人に至るまで確実に殺して回ったのだ、この手で、ひとりひとり、視認しながら始末した。その屋敷の持ち主の名は、――。
 蓋をしてしまおう。都合の悪い記憶など、奥の奥にしまったきりにしてしまおう。赤間は吉川を救って、吉川に救われた。互いが分かっていることなんて、互いにいまは幸せであること、それだけでいい。

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