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#38 07/12

「そうか、そうか!キミが!生きていた!!」

 鏡見がビルの屋上で通りを、俺を。見下ろしている。

 爆発が起きた瞬間その場にいたのは、自分だった。僅か10数メートル先で響いた爆音に駆けつけ鏡見と対峙すると、俺を認めた鏡見は瞬間、歓喜を露にしてそう叫んだ。

 男が言っていることなど理解はできない。当然面識などない、と、思ったけれど、自分はナツキと出会う前の記憶が抜け落ちている。特徴として人づてに聞いたことしかなかったその非対称の青い髪も、灰の目も、どれも自分の記憶にはないし、揺さぶられるような思いもない。けれど鏡見が俺を知っている可能性は高く、であるならば、唯一俺の失った記憶を知っている人物だということになる。けれど、記憶を取り戻したいのか、この盤面で再び自分にそう問いかける余裕はなく、あったとして、返ってくるのはどうせいつもと同じに決まっているのだろう。
 周囲の建物、その中にいるかもしれない市民になるべく被害を出さないため、あえて彼の目の前に立ちはだかって、意識を自分に向けさせる。相変わらず派手な爆発だった、いつも通りスラムのどこにいても聞こえただろう。ナツキも神田もすぐに気がついてこちらへ向かうはずだ。
 とにかく彼をここに留めることに集中して、神田たちが駆けつけるのを待つしかない。他人に頼るしかない自分に不甲斐なさを感じたが、そもそもどうして自分はここにいるのだったか、なんて、そういう思いが全くないとも言いきれない。ナツキに救われた命だ、彼女の力になることは本意であるけれど、でもそれだって、頼んだわけではなかったのに。
 こんなに情けなく、無責任な思考を持って生き延びるくらいなら。

「…生きていたって、どういうこと」

 それでも今の俺にとって、彼女へどうにか報いること以外、生きる理由がない。外的な義務でも、それにせっつかれての行動でも。ナツキを喜ばせられるなら、それだけを支えに、この諦念が渦巻くばかりのみっともない自分にも、生きることを許せるような気がするからだ。
 足止めを。足止めを。鏡見と真っ向から戦って、勝てる見込みなどあるものか。呼べば簡単に振り向くほど頭が弱いという殺人鬼と、会話を試みる。

「え?なに、覚えてないの?ああショックで吹っ飛んだのか、へえ、ムカつくなあ」

 僥倖、鏡見は首を傾げながら応答した。
 けれども内容は鏡見の逆鱗に触れてしまったらしい。目つきが変わる、明確な殺意を感じる。すぐの足元で爆発が起き、華奢な身体は簡単に吹き飛ばされ、頭からビル壁に叩きつけられた。一瞬、だが、意識が飛び、すぐに復帰はしたものの、強い衝撃に肺が痛み、うまく息ができない。身体に鞭を打って立ちあがろうと試みるが、意識と身体が直結しない。その場で呻くことしかできなかった。

 いちかばちかで異能を、右腕を振るい電流を放った。それは蛇行し、歪みながらも辛うじて鏡見の足元へ叩きつけられたが、男はひょいとひとつ跳ねて簡単に避けると、にやりと口角を上げる。
 電流を操る異能。本来であれば裁きのように雷を落とせるものだとレイは言ったが、身体の一部に集中しそこを介して発動させるほうが安定に近付く、とも言ったので、専ら腕から薙ぎ払う練習ばかりを繰り返していたのだが、それでも未だ感覚を掴みきれていない。
 戦いたいわけではない。鏡見に殺されてしまう前に、すこしでもここで時間を稼がなければならない。そのためには男の意識をできるだけ散らばせる必要があるだけだ。

「もしかして異能の使い方まで忘れてんの?じゃあ簡単に殺せる、でもそれじゃあ面白くないね。忘れられたまま死なれるのは癪だし」

 鏡見がゆったりとした歩調で近付いてくる。もう一度異能を放ったが、今度は彼を掠めることすらなく、見当違いな方向へ飛んで、弾けた。

「教えてあげるよ、思い出してよ、オレのことさあ。キミ、孤児院にいたの、ほんとに覚えてないわけ?」

 はっと目を瞠る。瞬間激しい頭痛に襲われ、あまりの痛みに再び視界が暗転し、なにかがフラッシュバックしそうになった。けれどそれを拒絶するように、意識が混濁する。ここかどこだか、自分が立っているのか、息をしているのか。すべてが曖昧になっていく。
 視界だけが鈍重に回復していき、わけも分からぬまま鏡見はすぐ目の前にいて、俺を見下ろしていた。殺気をまとい、けれどちぐはくに笑みを浮かべながら、その姿はたしか昔に、

「オレがそこを襲ったときに、キミがその異能でオレの異能を相殺してくれたんだよね、ほんっと気に食わない。でもさあ、結果どうなったか覚えてないなんて、あんまりにも都合がいいんじゃない?」

 頭痛が増していく。鏡見の、逆光で暗がる瞳がうつる、いやだと本能が拒絶している。
 ああ、そうだ、自分は異能孤児として保護されていた、そうだ、あの暖かい場所で自分は受け入れられていた、そこに鏡見の襲撃があって、自分は居場所を守るために異能を使って、ああ、そうだ、

「ねえ、あのときの不愉快さ、今でもはっきり覚えてるよ。獲物を横取りされんのが、あんなにムカつくなんてさ」

 思い出してしまった。

 あのとき冷静さを完全になくしてしまって、ただあの場所を守りたくて、それだけだった、のに。
 俺が。そうだ、感情が制御できなくて、無差別に放電をしてしまって、そうか、あれがレイの言った、暴走というものか。
 電撃で、孤児院を燃やし尽くしてしまった。

 一気に記憶を取り戻した、その情報量に耐え切れずに、意識が遠のいていく。

「千代森!!」

 失せていく視界と聴覚。拾ったのは、ナツキの声だった。
 そうだ。もう寝ているわけにはいかない。

 辛うじて繋ぎとめた意識、暗い視界の向こうで、一度爆音が鳴った。薄く開かれていた目に徐々に光が差し込んで、眩しさにまた頭痛がする。恐らくはナツキの異能で守られたのだ、影によって鏡見の爆破から。

 そう理解したと同時、不意に路地から音もなく現れた男が、鏡見へ向かって叫ぶ。

「四季、異専がこちらへ向かっている、撤退すべきだ」

 ビビットピンクの髪を揺らした、細身の男。そばへ駆け寄ってきたナツキが、上神、と一度だけ呟いた。聞き覚えのないその名前が、右から左へ流されていく。
 瞬きのたび、奥では炎が盛って揺れる。

「はあ?これからだってとこでなに言ってんの、全員殺せば解決でしょ」
「あの異専の異能は身体強化だ。鋼のような防御力も備えている、爆破が効かない」
「チッ…キミに指図されんのほんっとムカつく」

「やっと、捉えた」

 澄んだ幼い声が響く。
 上神と呼ばれた男の異能は分からないが、神田の動きを察知してから動いたのでは、彼女の脚力には到底敵わない。弾丸のように飛び出してきた影が、鏡見の足元のコンクリートを深く抉る。対応できなかった鏡見は吹き飛ばされ、地に叩きつけられた。

「鏡見四季、あなたの暴挙、ここで終わらせる」

 ゆっくりと立ち上がった少女、神田いおりは、力強く鏡見を見据えていた。

 ナツキはそれらを呆然と見つめるばかりの俺の肩を抱えて揺する。大丈夫、とかけられた声に応えるように、ゆるりと深緑のひとみと視線を合わせた。口を動かす気力がない、あったとして、果たして声が出るかどうか。
 戦線から撤退させたいのだろう、ナツキが肩を貸そうとする。俺は、ここからいなくなっても、いいのだろうか。そう一巡して目を伏せる、はっきりと熱を持って景色が燃えていく。

 ナツキを制して、へいきだよ、と小さく答えた。なんだ、思ったよりも簡単に、声が出る。言葉通り、よろけながらもひとりで立ち上がった。

「離れて休まないと」
「…だめだよ、思い出したんだ、記憶を」
「それは……どうして」
「鏡見が、…鏡見を知っていたんだ、おれは」
「…そう、だったの、けれど」
「だからおれは、行かなきゃならない、…おれにできる償いはきっと、鏡見とあの時の決着をつけて…そのうえでみんなに、謝ることだと思う」

 できるだけ、淡々と。今彼女に余計な考えを抱かせてしまっては、危険に巻き込みかねない。彼女のほうが俺よりよほど強く、それは経験に裏付けされた確かなものであろうけれど、誰のためにでも無茶をしてしまうひとだ。それでも関わらないでくれ、と、一線を強く引けば、その意思が天邪鬼なものではないと分かれば、それ以上踏み込まずにいてくれるひとだから。
 そんな優しいひとだから、俺は彼女の余計なお節介が好きだったし、付き合ってきた。けれどこれだけはもう、自分で解決するほかない事柄だ。

 すっと視界が開ける。
 相手は二人。俺は記憶が戻ったといっても、異能を正しく振るえるのかは、試さなければ分からない。神田は接近するより戦う術がない、遠距離である自分と入り乱れての戦闘は危険だ。彼女が作った隙に叩きこむ、あるいは鏡見を援護する男の妨害に努めるしかないと判断し、立ち上がる鏡見を強く見据えた。

「あなたの行いを終わらせてみせる!」

 神田がまた強く地を蹴り、鏡見を目掛け飛びかかった。先ほどのダメージが残っているのか、鏡見もすぐに反応できないようで、避け切れず右腕に神田の拳が直撃する。それは弾丸より早く鋼より硬い拳だ、もう鏡見の右腕は使い物にならないだろう。鏡見はよろけながら態勢を整えようとしているが、間髪いれず神田の蹴りが繰り出される。直後、彼女と鏡見の間に爆発が起きたが、神田の脚はいとも容易く爆風を掻き分け、鏡見の腹部に勢いよく沈んだ。鏡見の体は簡単に吹き飛ばされ、弧を描きながらビル壁へ向かう。それを駆け寄った上神が無理やり受け止め、細い体が壁に叩きつけられた。
 鏡見は上神に構うことなく立ち上がって、神田の足元で爆発を起こす。幼い少女の体は破裂する足元に宙を舞ったが、既に身体強化が発動されているためだろう、掠ったような傷しかついてはいない。空中で体を反転させると、ひとつビル壁を蹴って再び鏡見へ真っ直ぐに飛びかかる。

 この軌道では今度こそ直撃する、鏡見もふらついていて回避はできそうにない。そう判断した上神が、2人の間に割り込むように、音による衝撃波をぶち込んだ。衝撃に拒まれた神田は風に吹き飛ばされたが軽々着地する。
 舞い上がる瓦礫と埃で視界が悪くなった。

「四季、」

 遠くでそう呼ぶ声が聞こえる。恐らくは逃げるための目眩ましでもあったのだろう、けれど。

「…うっさいな、いい加減邪魔なんだよ、オレの前から消えて」

 静かに落とされた声の直後に爆音が響く。それは、今までのように必要以上に広範囲で、派手なものではなかった。けれども確かに爆風となって、煙った視界を晴らす。

「、ッぅ、ぁあああ!」

 見えたのは。
 右足を爆破により吹き飛ばされ、断面からとめどなく溢れる血は溜っていく。劈くような悲鳴も、その血溜まりに蹲って痛みにほとんど暴れているのも、確かに鏡見に味方していた、上神と呼ばれた男の姿だった。

「用なしだよ、マキ、もういらない」

 上神の顔は地に擦りつけられながら苦痛に歪む。うすく開かれた瞳で鏡見を見た。男は肩で息をしながら上神を見下ろし、けれどすぐに逸らして神田に向き直る。

 かれは、いま、

「どうして…!」

 激情しているのが自分ではっきりと分かった。人のことであるというのに。

 記憶が戻ったことで感覚も戻ってきている。的が捉えやすくなっているのが体で分かる。そして感情に任せて放電すれば周囲に迷惑をかけることも、知っている。
 ひたすらに集中する。意識を研ぎ澄ませる。男の右足を吹き飛ばしてみせた鏡見を見つめて薙ぎ払った手、そこから放たれた電流は、記憶を失くす前のように強く一筋の束となり、歪むことなく直撃した。

 倒れこんだ鏡見を神田がすぐに確保して手錠をかけ、目隠しをする。ナツキから、彼の異能の発動には目線が関係しているという情報を、予め知らされていたのだ。
 鏡見はくちびるだけで薄く笑って、ただ、それだけだった。何も言うことも抵抗することもなく、神田に手を引かれるまま、連行されていった。

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